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アンクル編集子
Jul 20, 2023

柳原良平主義 ~RyoheIZM~03

柳原良平主義 ~RyoheIZM~03

アンクル編集子

Jul 20, 2023

魅力という名の普遍性

魅力という名の普遍性

船の絵にある普遍性とは?

船の絵にある普遍性とは?

前回は、1958年に誕生以来、半世紀を軽く超えて今なお大活躍する不滅のキャラクター「アンクルトリス」が誕生するまでについて書いた。こんな長く活躍するとは柳原良平ご本人さえ想像していなかったのでは?

これは作品の内に、作者本人すら意識しない普遍性が備わっていたことの証と言える。つまり柳原良平の作品には「魅力という名の普遍性」が備わっている。

というか、そう仮定しないと話が進まない。そんなわけで今回は、柳原作品で圧倒的な比重を占める「船の絵」について、同様に普遍性があると仮定して、それを検証していく。

前回は、1958年に誕生以来、半世紀を軽く超えて今なお大活躍する不滅のキャラクター「アンクルトリス」が誕生するまでについて書いた。こんな長く活躍するとは柳原良平ご本人さえ想像していなかったのでは?

これは作品の内に、作者本人すら意識しない普遍性が備わっていたことの証と言える。つまり柳原良平の作品には「魅力という名の普遍性」が備わっている。

というか、そう仮定しないと話が進まない。そんなわけで今回は、柳原作品で圧倒的な比重を占める「船の絵」について、同様に普遍性があると仮定して、それを検証していく。

たとえばこの作品の場合

今回のメインビジュアルを見ながら読んでいただけると幸いだ。これは『しょうぼうてい しゅつどうせよ』(福音館書店)という絵本の中のひとコマだ。船同士の衝突事故が発生し、救助に向かうさまざまな船の様子が(事故の話なのに不適切な表現なのは承知の上で)「生き生きと」描かれている。

絵の右端には、衝突した黒い大型船と小型貨物船がいる。中央に描かれた水中翼船は、両舷に付けられた水中翼をあらわにして現場に急行中だ。下には左側に事故で海に投げ出された子供と、それを救助しようと手を伸ばす小舟上の大人、そこに左から救助艇が駆けつける。

それぞれの船を、見ているうちに

たとえばこの作品の場合

という構図だが、ここで言いたいのはたとえば、大型船にぶつかっている小型の船が、なぜ貨物船とわかるのか?ということ。それはクレーンを搭載しており、ロープをかけられた箱型の貨物(の一部)が見えるからだ。

中央の水中翼船も、右下の救助艇も、赤色灯を掲げているから警察の船だとわかる。

左下の木造船は、艀(はしけ)と呼ばれ、港内・湾内で人夫が担いで積み下ろしできる小さめの貨物を運ぶ小型船だ。港内の倉庫から、大型貨物船が停泊する埠頭まで、木箱や段ボールで梱包された小口貨物を運ぶ役割を担っている。

つまりこの艀のオーナーがこのとき偶然、海に落ちた子供を見つけ、助けようとしてるところではないか?と、そこまで想像が及ぶと、よし、がんばれ、艀のオヤジ!と応援したくなってくるから困ったものだ(実はぜんぜん困らない)。

そして水中翼船の「水中翼」がほとんど露出するほど船体が持ち上がってるということは、相当なスピードだなあとか、右下の救助艇は、子供を助けようと風を切って走ってるのがわかるよう白ペンで横線が入っており(絵本の本文にこの船が「ジェット推進の救助艇」とある)、うーん、頼もしいなあとか、ワクワク感がじわじわと広がってくる。

今回のメインビジュアルを見ながら読んでいただけると幸いだ。これは『しょうぼうてい しゅつどうせよ』(福音館書店)という絵本の中のひとコマだ。船同士の衝突事故が発生し、救助に向かうさまざまな船の様子が(事故の話なのに不適切な表現なのは承知の上で)「生き生きと」描かれている。

絵の右端には、衝突した黒い大型船と小型貨物船がいる。中央に描かれた水中翼船は、両舷に付けられた水中翼をあらわにして現場に急行中だ。下には左側に事故で海に投げ出された子供と、それを救助しようと手を伸ばす小舟上の大人、そこに左から救助艇が駆けつける。

それぞれの船を、見ているうちに

大の大人が、子供より

という構図だが、ここで言いたいのはたとえば、大型船にぶつかっている小型の船が、なぜ貨物船とわかるのか?ということ。それはクレーンを搭載しており、ロープをかけられた箱型の貨物(の一部)が見えるからだ。

中央の水中翼船も、右下の救助艇も、赤色灯を掲げているから警察の船だとわかる。

左下の木造船は、艀(はしけ)と呼ばれ、港内・湾内で人夫が担いで積み下ろしできる小さめの貨物を運ぶ小型船だ。港内の倉庫から、大型貨物船が停泊する埠頭まで、木箱や段ボールで梱包された小口貨物を運ぶ役割を担っている。

つまりこの艀のオーナーがこのとき偶然、海に落ちた子供を見つけ、助けようとしてるところではないか?と、そこまで想像が及ぶと、よし、がんばれ、艀のオヤジ!と応援したくなってくるから困ったものだ(実はぜんぜん困らない)。

そして水中翼船の「水中翼」がほとんど露出するほど船体が持ち上がってるということは、相当なスピードだなあとか、右下の救助艇は、子供を助けようと風を切って走ってるのがわかるよう白ペンで横線が入っており(絵本の本文にこの船が「ジェット推進の救助艇」とある)、うーん、頼もしいなあとか、ワクワク感がじわじわと広がってくる。

大の大人が、子供より

と、パッと見ると気づかないのに、見ているうちにあれやこれやと気づき出す。実際に貨物船に設置されたクレーンの形状や警察船の赤色灯の取り付け位置など、本物を知って描いていることが、調べてみるとわかる。そこでようやく、この絵は大人が見ても納得のいくクオリティの、いわゆる「子供騙し」の絵ではないことがわかる。

というか知識のある大人こそ、リアルに感じ取れる作品であることが理解できる。それぞれの船の種類はもちろん、この状況(衝突事故)でどの船がどんな目的を持ってここにいる(描かれている)のかがわかるからだ。

もちろん今なら、大型貨物はコンテナとなり、荷役が港に設置されたガントリークレーンでで行われるから、小型貨物船の出番はない。とはいえ自力で荷役作業ができるこうした貨物船は、クレーン設備のない港では大活躍しているし、艀は艀で、貨物船が通行できないほど水深の浅い河川や運河では、必須の船だ。この作品は1964年に刊行された絵本の一コマだが、だからいま見ても古さを感じさせない、つまり時代を超えている。

ある日、自分の子供のためにこの絵本を買ってきて読んでみたら、自分の方がハマってしまった親、といった展開も、可能性としては十分にある。もしかしたら海上保安官が、自分のしている仕事を自分の子供に教える目的で購入したかもしれない。「パパ(あるいはママ)はこの船に乗ってるんだよ」などと言いながら。

結論。普遍性の正体は?

色彩感覚や作品のタッチ、デフォルメ、各種技法などについては別の回に書くつもりだが、今回言いたいのは柳原の作品は時代を超え、幼児から大人まで、どんな年齢層にも訴えかけるフック(=魅力)を持っている作品だということ。つまり、それが冒頭で書いた「普遍性」の正体ではないか、ということだ。

それは、サザンやユーミンの曲が、時代を超えて老若男女に受け入れられているのと同じこと。だから柳原良平が描く船は、いつまでも見飽きない。(以下次号)

と、パッと見ると気づかないのに、見ているうちにあれやこれやと気づき出す。実際に貨物船に設置されたクレーンの形状や警察船の赤色灯の取り付け位置など、本物を知って描いていることが、調べてみるとわかる。そこでようやく、この絵は大人が見ても納得のいくクオリティの、いわゆる「子供騙し」の絵ではないことがわかる。

というか知識のある大人こそ、リアルに感じ取れる作品であることが理解できる。それぞれの船の種類はもちろん、この状況(衝突事故)でどの船がどんな目的を持ってここにいる(描かれている)のかがわかるからだ。

もちろん今なら、大型貨物はコンテナとなり、荷役が港に設置されたガントリークレーンでで行われるから、小型貨物船の出番はない。とはいえ自力で荷役作業ができるこうした貨物船は、クレーン設備のない港では大活躍しているし、艀は艀で、貨物船が通行できないほど水深の浅い河川や運河では、必須の船だ。この作品は1964年に刊行された絵本の一コマだが、だからいま見ても古さを感じさせない、つまり時代を超えている。

ある日、自分の子供のためにこの絵本を買ってきて読んでみたら、自分の方がハマってしまった親、といった展開も、可能性としては十分にある。もしかしたら海上保安官が、自分のしている仕事を自分の子供に教える目的で購入したかもしれない。「パパ(あるいはママ)はこの船に乗ってるんだよ」などと言いながら。

結論。普遍性の正体は?

色彩感覚や作品のタッチ、デフォルメ、各種技法などについては別の回に書くつもりだが、今回言いたいのは柳原の作品は時代を超え、幼児から大人まで、どんな年齢層にも訴えかけるフック(=魅力)を持っている作品だということ。つまり、それが冒頭で書いた「普遍性」の正体ではないか、ということだ。

それは、サザンやユーミンの曲が、時代を超えて老若男女に受け入れられているのと同じこと。だから柳原良平が描く船は、いつまでも見飽きない。(以下次号)

アンクル編集子

ロイヤリティバンクの中の人。出版社勤務ののち独立し、雑誌やWEBなどに記事を執筆。柳原良平作品の素晴らしさに魅せられ、本コラムの連載を開始。

※編注
「船キチ」という表現は「尋常ではない船マニア」といったニュアンスを表しています。柳原良平が自著の中で、主に自身に対して頻繁に使用している表現ですが、そこに差別や侮蔑の意図はまったく感じられません。従って本コラムでは、他の言葉に置き換えず、あえて「船キチ」という単語をそのまま使用しています。   

アンクル編集子

ロイヤリティバンクの中の人。出版社勤務ののち独立し、雑誌やWEBなどに記事を執筆。柳原良平作品の素晴らしさに魅せられ、本コラムの連載を開始。

※編注
「船キチ」という表現は「尋常ではない船マニア」といったニュアンスを表しています。柳原良平が自著の中で、主に自身に対して頻繁に使用している表現ですが、そこに差別や侮蔑の意図はまったく感じられません。従って本コラムでは、他の言葉に置き換えず、あえて「船キチ」という単語をそのまま使用しています。   

参考文献
・『しょうぼうていしゅつどうせよ』(福音館書店)

参考文献
・『しょうぼうていしゅつどうせよ』(福音館書店)

柳原良平主義 ~RyoheIZM~

たとえばフィンランドの老舗ブランド、マリメッコの定番テキスタイルは、誰が見てもすぐにマリメッコとわかる。それはもちろんポピーの花をモチーフにした、例のウニッコ(Unikko)と呼ばれるデザイン・パターンのせいでもあるが、目が覚めるような鮮やかな色彩感覚にも原因があるのではないかと思う。

柳原良平の絵に現れる個性の背景には、デザイナーとして培ったデザイン感覚があると前回のコラムで書いた。だがアート界では、画家とデザイナーとの間には大きな隔たりがあったらしい。

たとえば前回登場した、フランスの革命的デザイナーとして著名なカッサンドルの場合、デザインの仕事は、絵画で身を立てるまでの生活の手段としか考えていなかったらしい。帝京大学名誉教授・岡部氏が

柳原良平の絵は、当たり前だが他とは異なったオリジナリティがある。どこが違うかはこれまでにも何度か書いてきたが、なぜ違うか、その理由についても知りたかった。 まず思い当たるのは、柳原は画家であるだけでなく、イラストレーターであり、漫画家であり、またデザイナー、装丁家でもあったこと。 元・横浜みなと博物館館長の志澤氏によれば、
『帆走客船』とだけ題された、ペンによって描かれた原画を見た。モノクロでシンプルな線画だが、マストや飛び出した船首、帆はもちろん、帆綱(ほづな)をはじめとする多くのロープに至るまで、きっちり描き込まれている。このあたりの細かさは、
先日また柳原作品の、原画を観る機会に恵まれた。『ナポリ港の「ミケランジェロ号」』と、珍しくタイトルが絵の中に書いてある、切り絵による作品だ。 晴れわたったナポリの空の下、穏やかな港内に浮かぶ名船ミケランジェロ号の姿がなんとも優雅で、ゆったりした時間の流れが感じられ、
柳原良平の描く船は、堂々たる威風を感じさせるというより、親しみやすく可愛らしいものが多い。この親しみやすさはどこから来るのか? またその親しみやすさを、どうやって表現していたのか? 元・横浜みなと博物館館長の志澤政勝氏は、それをひと言で表現してくれた。 「変形されてますよね? つまり圧縮です」
柳原良平の「船キチ」が、いつどのように育まれたのか知りたかった。ただ彼の少年時代を知っている人は、今となっては見つからなかった。その代わり『柳原良平のわが人生』の記述から、ヒントとなった箇所を紹介する。 戦後(1945年)占領軍の統制下にあった日本は、船舶を建造することができなかったが、1946年には小型船舶の建造許可が降りた。そして翌1947年、関西在住の中学生、柳原良平(15歳)は、
柳原良平は横浜を愛した。山手の丘の中腹に住み書斎兼作業部屋から港を見ながら多くの作品を生み出した(数年後、他の建築物のせいで港は見えなくなってしまったが)。そんな彼の作品が大好きな、横浜に社屋を構える会社の代表がいた。彼は、既存の自社商品をもう一段階盛り上げる起爆剤は、柳原良平が描く絵のパワーだとひらめいた。
さて、ついに船の話だ。どこから書こうか迷うほど柳原の船愛っぷり(=知識)はどこまでも広く深い。それは『船旅絵日記』(徳間文庫)などを一読すれば、その濃度に誰もが思い知る。 排水量(総トン数)や速度、乗客数、船籍、建造会社、オーナー会社(の遷移も)などのスペックはもちろん、各キャビンの位置がわかる図に加えて一等から三等までの船室料金に至るまで詳細に記述されている。もちろん調べたりメモしたりすればわかることだという意見もあろう。だが当時は、気楽に検索して調べることなど不可能な時代。調査方法も問い合わせ先も、自力で見つけ出すしかない。
線画は、柳原良平の作品における原点だ。彼にとってスケッチは日常であり、スケッチは線画から始まる。そして彼は、線画による味わい深い作品を数多く残している。 『三人のおまわりさん』(学研)の絵は、そんな挿絵を見ることのできる作品のひとつ。主人公である三人のおまわりさんは、三人とも例によって2頭身半で、ヒゲの向き以外はほぼ同じ顔なのだが、
前回は、1958年に誕生以来、半世紀を軽く超えて今なお大活躍する不滅のキャラクター「アンクルトリス」が誕生するまでについて書いた。こんな長く活躍するとは柳原良平ご本人さえ想像していなかったのでは? これは作品の内に、作者本人すら意識しない普遍性が備わっていたことの証と言える。つまり柳原良平の作品には「魅力という名の普遍性」が備わっている。
道は、自分で切り開く 船や港は、柳原良平が一生を通じて向き合ってきたテーマであり、その絵を前にすると誰もが、オリジナリティあふれる、柳原ならではの作風に魅了される。その魅力については今後、手を替え品を替え何度も書くことになろうが、その前にあえて、彼の作品のもうひとつの特徴である、人物画の面白さにスポットを当てておきたい。
どこが良いのか言えない、もどかしさ 船画の魅力、人物画の面白さ 柳原良平による船の絵。それはときに埠頭に停泊して浮かぶ豪華客船であったり、ときにクレーンで荷役作業中の力強いコンテナ船であったりする。作品によっては客船の甲板から手を振る旅客や、貨物船のブリッジで針路を見つめる船長が描かれていたり。船自体の絵は写実的な絵とはかけ離れた作風にもかかわらず、独特な緻密感・凝縮感が滲み出ているのに対して、人物の方は思い切りマンガチックにデフォルメされている...

柳原良平主義 ~RyoheIZM~

たとえばフィンランドの老舗ブランド、マリメッコの定番テキスタイルは、誰が見てもすぐにマリメッコとわかる。それはもちろんポピーの花をモチーフにした、例のウニッコ(Unikko)と呼ばれるデザイン・パターンのせいでもあるが、目が覚めるような鮮やかな色彩感覚にも原因があるのではないかと思う。

柳原良平の絵に現れる個性の背景には、デザイナーとして培ったデザイン感覚があると前回のコラムで書いた。だがアート界では、画家とデザイナーとの間には大きな隔たりがあったらしい。

たとえば前回登場した、フランスの革命的デザイナーとして著名なカッサンドルの場合、デザインの仕事は、絵画で身を立てるまでの生活の手段としか考えていなかったらしい。帝京大学名誉教授・岡部氏が

柳原良平の絵は、当たり前だが他とは異なったオリジナリティがある。どこが違うかはこれまでにも何度か書いてきたが、なぜ違うか、その理由についても知りたかった。 まず思い当たるのは、柳原は画家であるだけでなく、イラストレーターであり、漫画家であり、またデザイナー、装丁家でもあったこと。 元・横浜みなと博物館館長の志澤氏によれば、
『帆走客船』とだけ題された、ペンによって描かれた原画を見た。モノクロでシンプルな線画だが、マストや飛び出した船首、帆はもちろん、帆綱(ほづな)をはじめとする多くのロープに至るまで、きっちり描き込まれている。このあたりの細かさは、
先日また柳原作品の、原画を観る機会に恵まれた。『ナポリ港の「ミケランジェロ号」』と、珍しくタイトルが絵の中に書いてある、切り絵による作品だ。 晴れわたったナポリの空の下、穏やかな港内に浮かぶ名船ミケランジェロ号の姿がなんとも優雅で、ゆったりした時間の流れが感じられ、
柳原良平の描く船は、堂々たる威風を感じさせるというより、親しみやすく可愛らしいものが多い。この親しみやすさはどこから来るのか? またその親しみやすさを、どうやって表現していたのか? 元・横浜みなと博物館館長の志澤政勝氏は、それをひと言で表現してくれた。 「変形されてますよね? つまり圧縮です」
柳原良平の「船キチ」が、いつどのように育まれたのか知りたかった。ただ彼の少年時代を知っている人は、今となっては見つからなかった。その代わり『柳原良平のわが人生』の記述から、ヒントとなった箇所を紹介する。 戦後(1945年)占領軍の統制下にあった日本は、船舶を建造することができなかったが、1946年には小型船舶の建造許可が降りた。そして翌1947年、関西在住の中学生、柳原良平(15歳)は、
柳原良平は横浜を愛した。山手の丘の中腹に住み書斎兼作業部屋から港を見ながら多くの作品を生み出した(数年後、他の建築物のせいで港は見えなくなってしまったが)。そんな彼の作品が大好きな、横浜に社屋を構える会社の代表がいた。彼は、既存の自社商品をもう一段階盛り上げる起爆剤は、柳原良平が描く絵のパワーだとひらめいた。
さて、ついに船の話だ。どこから書こうか迷うほど柳原の船愛っぷり(=知識)はどこまでも広く深い。それは『船旅絵日記』(徳間文庫)などを一読すれば、その濃度に誰もが思い知る。 排水量(総トン数)や速度、乗客数、船籍、建造会社、オーナー会社(の遷移も)などのスペックはもちろん、各キャビンの位置がわかる図に加えて一等から三等までの船室料金に至るまで詳細に記述されている。もちろん調べたりメモしたりすればわかることだという意見もあろう。だが当時は、気楽に検索して調べることなど不可能な時代。調査方法も問い合わせ先も、自力で見つけ出すしかない。
線画は、柳原良平の作品における原点だ。彼にとってスケッチは日常であり、スケッチは線画から始まる。そして彼は、線画による味わい深い作品を数多く残している。 『三人のおまわりさん』(学研)の絵は、そんな挿絵を見ることのできる作品のひとつ。主人公である三人のおまわりさんは、三人とも例によって2頭身半で、ヒゲの向き以外はほぼ同じ顔なのだが、
前回は、1958年に誕生以来、半世紀を軽く超えて今なお大活躍する不滅のキャラクター「アンクルトリス」が誕生するまでについて書いた。こんな長く活躍するとは柳原良平ご本人さえ想像していなかったのでは? これは作品の内に、作者本人すら意識しない普遍性が備わっていたことの証と言える。つまり柳原良平の作品には「魅力という名の普遍性」が備わっている。
道は、自分で切り開く 船や港は、柳原良平が一生を通じて向き合ってきたテーマであり、その絵を前にすると誰もが、オリジナリティあふれる、柳原ならではの作風に魅了される。その魅力については今後、手を替え品を替え何度も書くことになろうが、その前にあえて、彼の作品のもうひとつの特徴である、人物画の面白さにスポットを当てておきたい。
どこが良いのか言えない、もどかしさ 船画の魅力、人物画の面白さ 柳原良平による船の絵。それはときに埠頭に停泊して浮かぶ豪華客船であったり、ときにクレーンで荷役作業中の力強いコンテナ船であったりする。作品によっては客船の甲板から手を振る旅客や、貨物船のブリッジで針路を見つめる船長が描かれていたり。船自体の絵は写実的な絵とはかけ離れた作風にもかかわらず、独特な緻密感・凝縮感が滲み出ているのに対して、人物の方は思い切りマンガチックにデフォルメされている...