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アンクル編集子
Jul 27, 2023

柳原良平主義 ~RyoheIZM~04

柳原良平主義 ~RyoheIZM~04

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Jul 27, 2023

線画の味わい

線画の味わい

素朴な線画が、語り始める

素朴な線画が、語り始める

線画は、柳原良平の作品における原点だ。彼にとってスケッチは日常であり、スケッチは線画から始まる。そして彼は、線画による味わい深い作品を数多く残している。

『三人のおまわりさん』(学研)の絵は、そんな挿絵を見ることのできる作品のひとつ。主人公である三人のおまわりさんは、三人とも例によって2頭身半で、ヒゲの向き以外はほぼ同じ顔なのだが、それぞれ絶妙に表情があり、しかも服装が凝っていて、コミカルながら独特の存在感を放っている。

線画は、柳原良平の作品における原点だ。彼にとってスケッチは日常であり、スケッチは線画から始まる。そして彼は、線画による味わい深い作品を数多く残している。

『三人のおまわりさん』(学研)の絵は、そんな挿絵を見ることのできる作品のひとつ。主人公である三人のおまわりさんは、三人とも例によって2頭身半で、ヒゲの向き以外はほぼ同じ顔なのだが、それぞれ絶妙に表情があり、しかも服装が凝っていて、コミカルながら独特の存在感を放っている。

子供の脳に、印象を刻む

帝京大学名誉教授の岡部昌幸氏は、幼少のころこの本を読んで言い知れない不気味さに包まれたと語っている。それだけインパクトがあったということだ。「うん、パッと見たときの感覚なんでしょうね。私が子供だったときの感覚ですから、なぜそう思ったのかわかりません。

まあ単純に、ほのぼのとした話でもなかったですしね」アンクルトリスとおまわりさんとの「顔以外」の大きな差異は、首の有無だ。つまりアンクルトリスには首がないが、おまわりさんには首がある。といっても、おまわりさんの衣装のせいで首があるように見えるだけだが。

シンプルさに潜む、豊かな表情

子供の脳に、印象を刻む

シンプルなのに表情があるというのは、柳原良平が描く人物画のひとつの特徴だ。よく見るとドヤ顔やビビリ顔など、それぞれの絵から喜怒哀楽が伝わってくる(もちろん、ストーリーを読みながら絵を見るからであるが)。そしてそれに対比するように、三人の助手であるボッツフォード少年の変わらぬにこやかさは、したたかな冷静さ(=優秀さ)を表現している。

そういう意味では、登場人物のキャラクターがわかりやすく設定されている物語であり、それをきっちり読み取って、さりげなくビジュアルに落とし込んでいる柳原の手腕は、やはりさすがだ。

昨今は悪役を除き、登場人物が美男美女ばかり(髪型や服を見なければ誰が誰なのかわからないものも)というマンガが頻繁に見られるが、柳原良平の描く人物たちは真逆で、単純にキラキラな美男美女は出てこない。そしてみんなが違う。そこがいい。童話(子ども向け)でありながら、大人も引き込まれるフックを持っているのは、船の絵と一緒だ。

帝京大学名誉教授の岡部昌幸氏は、幼少のころこの本を読んで言い知れない不気味さに包まれたと語っている。それだけインパクトがあったということだ。

「うん、パッと見たときの感覚なんでしょうね。私が子供だったときの感覚ですから、なぜそう思ったのかわかりません。まあ単純に、ほのぼのとした話でもなかったですしね」

アンクルトリスとおまわりさんとの「顔以外」の大きな差異は、首の有無だ。つまりアンクルトリスには首がないが、おまわりさんには首がある。といっても、おまわりさんの衣装のせいで首があるように見えるだけだが。

シンプルさに潜む、豊かな表情

船旅で身に付けた、上流のセンス

シンプルなのに表情があるというのは、柳原良平が描く人物画のひとつの特徴だ。よく見るとドヤ顔やビビリ顔など、それぞれの絵から喜怒哀楽が伝わってくる(もちろん、ストーリーを読みながら絵を見るからであるが)。

そしてそれに対比するように、三人の助手であるボッツフォード少年の変わらぬにこやかさは、したたかな冷静さ(=優秀さ)を表現している。そういう意味では、登場人物のキャラクターがわかりやすく設定されている物語であり、それをきっちり読み取って、さりげなくビジュアルに落とし込んでいる柳原の手腕は、やはりさすがだ。

昨今は悪役を除き、登場人物が美男美女ばかり(髪型や服を見なければ誰が誰なのかわからないものも)というマンガが頻繁に見られるが、柳原良平の描く人物たちは真逆で、単純にキラキラな美男美女は出てこない。そしてみんなが違う。そこがいい。童話(子ども向け)でありながら、大人も引き込まれるフックを持っているのは、船の絵と一緒だ。

船旅で身に付けた、上流のセンス

そして特筆すべきなのが、服を描く柳原のセンス。平和であるがためヒマを持て余しているおまわりさんが、制服をおしゃれにデザイン・新調することに生きがいを見出しているという設定に、まさにぴったりの服装だ。彼らのお古を着ているボッツフォード少年の制服も、肩章などを見比べるとなるほど、という違いがある。三人の制服が装飾過多になっていくところも面白い。

このあたりは、やはり1ドル360円の時代から世界中を船で巡る旅をして、欧米人と交わってきた経験がものを言う。1960年代、瀬戸内海を周遊する船ではステテコにアッパッパ(質素なサンドレス)、サンダル履きで甲板を歩き回っていた平均的な日本人。それに対して、タキシードに蝶ネクタイでディナーを食べながら、同じテーブルを囲む欧米人にワインを振る舞っていたのが柳原良平だ。これは圧倒的に経験値が違う。自然に身についたそうしたセンスが描かせる絵も、やはり常人では届かないレベルのものになっても不思議ではない。

こんな船があったら、乗ってみたい!

そして圧巻はやはり船の絵。特に最後に登場する恐竜型の、あり得ない船(の断面図)を描いているのだが、ちゃんと動力室も舵もあり、細部に妥協がない。まさに「美は細部に宿る」を地でいくがごとしだ。本文で語られる内容にぴったりでありながら、きちんと航海できそうな船として成立させる、柳原のクリエイティビティには心底驚かされる。

1938年にアメリカで出版された童話だから、柳原は当然ストーリーを読んで描いたたわけだが、どちらかと言うと、著者が、この絵を見て童話を書いたのでは?と思えてくる。それほど内容と絵とがぴったりだ。

著者ウィリアム・ペン・デュボアの童話は、たとえ夢物語であっても科学的な合理性をもとに、実現できそうに書かれているところに定評があると聞く。つまり空想であっても、それを裏付ける知識を持ったうえで書かれた作品が多いということで、おそらくこの作品もそのひとつだろう。

船にしろファッションにしろ、作家がそうした知識を動員して登場させた架空の乗り物や服装を視覚化するには、イラストレーター側の想像力にも、それだけの知識や教養の裏打ちがないと力不足で終わってしまう。しかしそこは、さすが柳原良平で、さりげないながら、なるほどと思わせるようなものに仕上げている。そこに並々ならぬ教養を感じさせる。

自分がこの本の編集者だったら、この絵を見て「すごい!」と狂喜乱舞したに違いない。ただ柳原本人としてはきっと、船の絵だとつい本気が出してしまうのだろう(他の絵が本気で描かれてないという意味では、もちろんないので誤解はしないで欲しい)。

元々この本の著者ウィリアム・ペン・デュボアは画家でもある。最初に出版されたものは、ストーリーも書いたが表紙も自分で描いているようだ。柳原の絵に比べて数段複雑、というか写実的なタッチで描かれている。

しかし(こう言っては著者のデュボアに失礼だが)柳原によるモノクロの線画の方が、何倍も味わいがあると感じてしまう。この本を、故デュボアに見せて、驚きながら喜ぶデュボアの顔を見てみたかった、などと妄想するのは、私だけだろうか。(以下次号)

そして特筆すべきなのが、服を描く柳原のセンス。平和であるがためヒマを持て余しているおまわりさんが、制服をおしゃれにデザイン・新調することに生きがいを見出しているという設定に、まさにぴったりの服装だ。彼らのお古を着ているボッツフォード少年の制服も、肩章などを見比べるとなるほど、という違いがある。三人の制服が装飾過多になっていくところも面白い。このあたりは、やはり1ドル360円の時代から世界中を船で巡る旅をして、欧米人と交わってきた経験がものを言う。

1960年代、瀬戸内海を周遊する船ではステテコにアッパッパ(質素なサンドレス)、サンダル履きで甲板を歩き回っていた平均的な日本人。それに対して、タキシードに蝶ネクタイでディナーを食べながら、同じテーブルを囲む欧米人にワインを振る舞っていたのだ柳原良平だ。これは圧倒的に経験値が違う。自然に身についたそうしたセンスが描かせる絵も、やはり常人では届かないレベルのものになっても不思議ではない。

こんな船があったら、乗ってみたい!

そして圧巻はやはり船の絵。特に最後に登場する恐竜型の、あり得ない船(の断面図)を描いているのだが、ちゃんと動力室も舵もあり、細部に妥協がない。まさに「美は細部に宿る」を地でいくがごとしだ。本文で語られる内容にぴったりでありながら、きちんと航海できそうな船として成立させる、柳原のクリエイティビティには心底驚かされる。

1938年にアメリカで出版された童話だから、柳原は当然ストーリーを読んで描いたたわけだが、どちらかと言うと、著者が、この絵を見て童話を書いたのでは?と思えてくる。それほど内容と絵とがぴったりだ。

著者ウィリアム・ペン・デュボアの童話は、たとえ夢物語であっても科学的な合理性をもとに、実現できそうに書かれているところに定評があると聞く。つまり空想であっても、それを裏付ける知識を持ったうえで書かれた作品が多いということで、おそらくこの作品もそのひとつだろう。

船にしろファッションにしろ、作家がそうした知識を動員して登場させた架空の乗り物や服装を視覚化するには、イラストレーターの想像力にも、それだけの知識や教養の裏打ちがないと、役不足で終わってしまう。しかしそこは、さすが柳原良平で、さりげないながら、なるほどと思わせるようなものに仕上げている。そこに並々ならぬ教養を感じさせる。

自分がこの本の編集者だったら、この絵を見て「すごい!」と狂喜乱舞したに違いない。ただ柳原本人としてはきっと、船の絵だとつい本気が出してしまうのだろう(他の絵が本気で描かれてないという意味では、もちろんないので誤解はしないで欲しい)。

元々この本の著者ウィリアム・ペン・デュボアは画家でもある。最初に出版されたものは、ストーリーも書いたが表紙も自分で描いているようだ。柳原の絵に比べて数段複雑、というか写実的なタッチで描かれている。

しかし(こう言っては著者のデュボアに失礼だが)柳原によるモノクロの線画の方が、何倍も味わいがあると感じてしまう。この本を、故デュボアに見せて、驚きながら喜ぶデュボアの顔を見てみたかった、などと妄想するのは、私だけだろうか。(以下次号)

アンクル編集子

ロイヤリティバンクの中の人。出版社勤務ののち独立し、雑誌やWEBなどに記事を執筆。柳原良平作品の素晴らしさに魅せられ、本コラムの連載を開始。

※編注
「船キチ」という表現は「尋常ではない船マニア」といったニュアンスを表しています。柳原良平が自著の中で、主に自身に対して頻繁に使用している表現ですが、そこに差別や侮蔑の意図はまったく感じられません。従って本コラムでは、他の言葉に置き換えず、あえて「船キチ」という単語をそのまま使用しています。   

柳原良平(やなぎはら・りょうへい)

1931年、東京生まれ。1954年、寿屋(現・サントリーホールディングス)に入社。話題を呼ぶ広告を次々に制作し電通賞や毎日産業デザイン賞など多くの賞を受賞して退職・独立。船と港をこよなく愛し、横浜に移住。画家以外に、ぐらふぃくデザイナー、装丁家、絵本作家、アニメーター、文筆家など多彩な顔を持つ。2015年8月17日、84歳で逝去。

アンクル編集子

ロイヤリティバンクの中の人。出版社勤務ののち独立し、雑誌やWEBなどに記事を執筆。柳原良平作品の素晴らしさに魅せられ、本コラムの連載を開始。

※編注
「船キチ」という表現は「尋常ではない船マニア」といったニュアンスを表しています。柳原良平が自著の中で、主に自身に対して頻繁に使用している表現ですが、そこに差別や侮蔑の意図はまったく感じられません。従って本コラムでは、他の言葉に置き換えず、あえて「船キチ」という単語をそのまま使用しています。   

参考文献
・『しょうぼうていしゅつどうせよ』(福音館書店)

ご協力いただいた方

●岡部昌幸(おかべ・まさゆき)  1957年、横浜生まれ。少年期より地元横浜の美術と港・船の文化、歴史に関心を持つ。1984年、横浜市美術館の準備室に学芸員として勤務し、地域文化のサロンを通じて柳原良平と交遊。1992年、帝京大学文学部史学科専任講師(美術史)に就任。現・帝京大学文学部名誉教授、群馬県立近代美術館特別館長。                     参考文献

参考文献
・『三人のおまわりさん』著:ウィリアム・ペン・デュボア(学習研究社)
・『船旅絵日記』(徳間文庫)

柳原良平主義 ~RyoheIZM~

たとえばフィンランドの老舗ブランド、マリメッコの定番テキスタイルは、誰が見てもすぐにマリメッコとわかる。それはもちろんポピーの花をモチーフにした、例のウニッコ(Unikko)と呼ばれるデザイン・パターンのせいでもあるが、目が覚めるような鮮やかな色彩感覚にも原因があるのではないかと思う。

柳原良平の絵に現れる個性の背景には、デザイナーとして培ったデザイン感覚があると前回のコラムで書いた。だがアート界では、画家とデザイナーとの間には大きな隔たりがあったらしい。

たとえば前回登場した、フランスの革命的デザイナーとして著名なカッサンドルの場合、デザインの仕事は、絵画で身を立てるまでの生活の手段としか考えていなかったらしい。帝京大学名誉教授・岡部氏が

柳原良平の絵は、当たり前だが他とは異なったオリジナリティがある。どこが違うかはこれまでにも何度か書いてきたが、なぜ違うか、その理由についても知りたかった。 まず思い当たるのは、柳原は画家であるだけでなく、イラストレーターであり、漫画家であり、またデザイナー、装丁家でもあったこと。 元・横浜みなと博物館館長の志澤氏によれば、
『帆走客船』とだけ題された、ペンによって描かれた原画を見た。モノクロでシンプルな線画だが、マストや飛び出した船首、帆はもちろん、帆綱(ほづな)をはじめとする多くのロープに至るまで、きっちり描き込まれている。このあたりの細かさは、
先日また柳原作品の、原画を観る機会に恵まれた。『ナポリ港の「ミケランジェロ号」』と、珍しくタイトルが絵の中に書いてある、切り絵による作品だ。 晴れわたったナポリの空の下、穏やかな港内に浮かぶ名船ミケランジェロ号の姿がなんとも優雅で、ゆったりした時間の流れが感じられ、
柳原良平の描く船は、堂々たる威風を感じさせるというより、親しみやすく可愛らしいものが多い。この親しみやすさはどこから来るのか? またその親しみやすさを、どうやって表現していたのか? 元・横浜みなと博物館館長の志澤政勝氏は、それをひと言で表現してくれた。 「変形されてますよね? つまり圧縮です」
柳原良平の「船キチ」が、いつどのように育まれたのか知りたかった。ただ彼の少年時代を知っている人は、今となっては見つからなかった。その代わり『柳原良平のわが人生』の記述から、ヒントとなった箇所を紹介する。 戦後(1945年)占領軍の統制下にあった日本は、船舶を建造することができなかったが、1946年には小型船舶の建造許可が降りた。そして翌1947年、関西在住の中学生、柳原良平(15歳)は、
柳原良平は横浜を愛した。山手の丘の中腹に住み書斎兼作業部屋から港を見ながら多くの作品を生み出した(数年後、他の建築物のせいで港は見えなくなってしまったが)。そんな彼の作品が大好きな、横浜に社屋を構える会社の代表がいた。彼は、既存の自社商品をもう一段階盛り上げる起爆剤は、柳原良平が描く絵のパワーだとひらめいた。
さて、ついに船の話だ。どこから書こうか迷うほど柳原の船愛っぷり(=知識)はどこまでも広く深い。それは『船旅絵日記』(徳間文庫)などを一読すれば、その濃度に誰もが思い知る。 排水量(総トン数)や速度、乗客数、船籍、建造会社、オーナー会社(の遷移も)などのスペックはもちろん、各キャビンの位置がわかる図に加えて一等から三等までの船室料金に至るまで詳細に記述されている。もちろん調べたりメモしたりすればわかることだという意見もあろう。だが当時は、気楽に検索して調べることなど不可能な時代。調査方法も問い合わせ先も、自力で見つけ出すしかない。
線画は、柳原良平の作品における原点だ。彼にとってスケッチは日常であり、スケッチは線画から始まる。そして彼は、線画による味わい深い作品を数多く残している。 『三人のおまわりさん』(学研)の絵は、そんな挿絵を見ることのできる作品のひとつ。主人公である三人のおまわりさんは、三人とも例によって2頭身半で、ヒゲの向き以外はほぼ同じ顔なのだが、
前回は、1958年に誕生以来、半世紀を軽く超えて今なお大活躍する不滅のキャラクター「アンクルトリス」が誕生するまでについて書いた。こんな長く活躍するとは柳原良平ご本人さえ想像していなかったのでは? これは作品の内に、作者本人すら意識しない普遍性が備わっていたことの証と言える。つまり柳原良平の作品には「魅力という名の普遍性」が備わっている。
道は、自分で切り開く 船や港は、柳原良平が一生を通じて向き合ってきたテーマであり、その絵を前にすると誰もが、オリジナリティあふれる、柳原ならではの作風に魅了される。その魅力については今後、手を替え品を替え何度も書くことになろうが、その前にあえて、彼の作品のもうひとつの特徴である、人物画の面白さにスポットを当てておきたい。
どこが良いのか言えない、もどかしさ 船画の魅力、人物画の面白さ 柳原良平による船の絵。それはときに埠頭に停泊して浮かぶ豪華客船であったり、ときにクレーンで荷役作業中の力強いコンテナ船であったりする。作品によっては客船の甲板から手を振る旅客や、貨物船のブリッジで針路を見つめる船長が描かれていたり。船自体の絵は写実的な絵とはかけ離れた作風にもかかわらず、独特な緻密感・凝縮感が滲み出ているのに対して、人物の方は思い切りマンガチックにデフォルメされている...

柳原良平主義 ~RyoheIZM~

たとえばフィンランドの老舗ブランド、マリメッコの定番テキスタイルは、誰が見てもすぐにマリメッコとわかる。それはもちろんポピーの花をモチーフにした、例のウニッコ(Unikko)と呼ばれるデザイン・パターンのせいでもあるが、目が覚めるような鮮やかな色彩感覚にも原因があるのではないかと思う。

柳原良平の絵に現れる個性の背景には、デザイナーとして培ったデザイン感覚があると前回のコラムで書いた。だがアート界では、画家とデザイナーとの間には大きな隔たりがあったらしい。

たとえば前回登場した、フランスの革命的デザイナーとして著名なカッサンドルの場合、デザインの仕事は、絵画で身を立てるまでの生活の手段としか考えていなかったらしい。帝京大学名誉教授・岡部氏が

柳原良平の絵は、当たり前だが他とは異なったオリジナリティがある。どこが違うかはこれまでにも何度か書いてきたが、なぜ違うか、その理由についても知りたかった。 まず思い当たるのは、柳原は画家であるだけでなく、イラストレーターであり、漫画家であり、またデザイナー、装丁家でもあったこと。 元・横浜みなと博物館館長の志澤氏によれば、
『帆走客船』とだけ題された、ペンによって描かれた原画を見た。モノクロでシンプルな線画だが、マストや飛び出した船首、帆はもちろん、帆綱(ほづな)をはじめとする多くのロープに至るまで、きっちり描き込まれている。このあたりの細かさは、
先日また柳原作品の、原画を観る機会に恵まれた。『ナポリ港の「ミケランジェロ号」』と、珍しくタイトルが絵の中に書いてある、切り絵による作品だ。 晴れわたったナポリの空の下、穏やかな港内に浮かぶ名船ミケランジェロ号の姿がなんとも優雅で、ゆったりした時間の流れが感じられ、
柳原良平の描く船は、堂々たる威風を感じさせるというより、親しみやすく可愛らしいものが多い。この親しみやすさはどこから来るのか? またその親しみやすさを、どうやって表現していたのか? 元・横浜みなと博物館館長の志澤政勝氏は、それをひと言で表現してくれた。 「変形されてますよね? つまり圧縮です」
柳原良平の「船キチ」が、いつどのように育まれたのか知りたかった。ただ彼の少年時代を知っている人は、今となっては見つからなかった。その代わり『柳原良平のわが人生』の記述から、ヒントとなった箇所を紹介する。 戦後(1945年)占領軍の統制下にあった日本は、船舶を建造することができなかったが、1946年には小型船舶の建造許可が降りた。そして翌1947年、関西在住の中学生、柳原良平(15歳)は、
柳原良平は横浜を愛した。山手の丘の中腹に住み書斎兼作業部屋から港を見ながら多くの作品を生み出した(数年後、他の建築物のせいで港は見えなくなってしまったが)。そんな彼の作品が大好きな、横浜に社屋を構える会社の代表がいた。彼は、既存の自社商品をもう一段階盛り上げる起爆剤は、柳原良平が描く絵のパワーだとひらめいた。
さて、ついに船の話だ。どこから書こうか迷うほど柳原の船愛っぷり(=知識)はどこまでも広く深い。それは『船旅絵日記』(徳間文庫)などを一読すれば、その濃度に誰もが思い知る。 排水量(総トン数)や速度、乗客数、船籍、建造会社、オーナー会社(の遷移も)などのスペックはもちろん、各キャビンの位置がわかる図に加えて一等から三等までの船室料金に至るまで詳細に記述されている。もちろん調べたりメモしたりすればわかることだという意見もあろう。だが当時は、気楽に検索して調べることなど不可能な時代。調査方法も問い合わせ先も、自力で見つけ出すしかない。
線画は、柳原良平の作品における原点だ。彼にとってスケッチは日常であり、スケッチは線画から始まる。そして彼は、線画による味わい深い作品を数多く残している。 『三人のおまわりさん』(学研)の絵は、そんな挿絵を見ることのできる作品のひとつ。主人公である三人のおまわりさんは、三人とも例によって2頭身半で、ヒゲの向き以外はほぼ同じ顔なのだが、
前回は、1958年に誕生以来、半世紀を軽く超えて今なお大活躍する不滅のキャラクター「アンクルトリス」が誕生するまでについて書いた。こんな長く活躍するとは柳原良平ご本人さえ想像していなかったのでは? これは作品の内に、作者本人すら意識しない普遍性が備わっていたことの証と言える。つまり柳原良平の作品には「魅力という名の普遍性」が備わっている。
道は、自分で切り開く 船や港は、柳原良平が一生を通じて向き合ってきたテーマであり、その絵を前にすると誰もが、オリジナリティあふれる、柳原ならではの作風に魅了される。その魅力については今後、手を替え品を替え何度も書くことになろうが、その前にあえて、彼の作品のもうひとつの特徴である、人物画の面白さにスポットを当てておきたい。
どこが良いのか言えない、もどかしさ 船画の魅力、人物画の面白さ 柳原良平による船の絵。それはときに埠頭に停泊して浮かぶ豪華客船であったり、ときにクレーンで荷役作業中の力強いコンテナ船であったりする。作品によっては客船の甲板から手を振る旅客や、貨物船のブリッジで針路を見つめる船長が描かれていたり。船自体の絵は写実的な絵とはかけ離れた作風にもかかわらず、独特な緻密感・凝縮感が滲み出ているのに対して、人物の方は思い切りマンガチックにデフォルメされている...