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アンクル編集子
Aug 31, 2023

柳原良平主義 ~RyoheIZM~09

柳原良平主義 ~RyoheIZM~09

アンクル編集子

Aug 31, 2023

切り絵のマジック

切り絵のマジック

原画を前に、寄っては引いて

原画を前に、寄っては引いて

先日また柳原作品の、原画を観る機会に恵まれた。『ナポリ港の「ミケランジェロ号」』と、珍しくタイトルが絵の中に書いてある、切り絵による作品だ。


晴れわたったナポリの空の下、穏やかな港内に浮かぶ名船ミケランジェロ号の姿がなんとも優雅で、ゆったりした時間の流れが感じられ、なんだか妙にホッとする。船のほうが周囲の建物より詳細に書き込まれているものの、それほど極端な差はなく、なのに船の”主役感”が全面に浮き出てくるのは、その構図もあるが、やはり形状と配色のせいだろう。

先日また柳原作品の、原画を観る機会に恵まれた。『ナポリ港の「ミケランジェロ号」』と、珍しくタイトルが絵の中に書いてある、切り絵による作品だ。


晴れわたったナポリの空の下、穏やかな港内に浮かぶ名船ミケランジェロ号の姿がなんとも優雅で、ゆったりした時間の流れが感じられ、なんだか妙にホッとする。船のほうが周囲の建物より詳細に書き込まれているものの、それほど極端な差はなく、なのに船の”主役感”が全面に浮き出てくるのは、その構図もあるが、やはり形状と配色のせいだろう。

その形状、その配色

背景に配されたゴシック建築による直線的・幾何学的な建物群に対して、柔らかな曲線をまとったシルエットの船が佇んでいると、やはりそれだけで視線が船に向く。なぜか船が女性名詞で扱われるのが腑に落ちる。


色もそうだ。空や海の鮮やかな青さや山の緑、そして建物の壁には濃淡をつけて配し、その手前にドーンと真っ白な船が来るものだから、純潔さや気高さが迫ってきて、神々しくさえ見えてくる。

切り絵というのは、油絵に比べると劣化しやすいそうだがこの絵は、1972年の制作でありながら発色も良く、かなり保存が良かったことを伺わせる。

切り絵というジャンル

その形状、その配色

とまあそんな絵なのだが、今回言いたいのは切り絵の素晴らしさ。切り絵とは、色のついた紙を切って台紙に貼って作る作品のことで、切り絵というジャンルも確立されており、切り絵を専門に手がける作家もいる。


だが柳原のそれは、他の切り絵作家とは少々スタイルが異なっている。普通、切り絵と呼ばれる作品は、例えば黒い紙を細密に切ってレースのような模様を表現したり、切った紙を何層にも張り合わせて立体感を出すとか、それはそれなりに素晴らしいが、切った紙に筆やペンを入れるようなものはあまりない。


柳原の作品は、貼った紙に黒や白のペンが自由に入っており、それが作品を仕上げるための決定的な要素になっている。だから柳原は切り絵という手法は使うが純粋な切り絵作家ではなく、切り絵の手法を使うのは、それでしか表せない独特の効果を表現するためだ。

背景に配されたゴシック建築による直線的・幾何学的な建物群に対して、柔らかな曲線をまとったシルエットの船が佇んでいると、やはりそれだけで視線が船に向く。なぜか船が女性名詞で扱われるのが腑に落ちる。


色もそうだ。空や海の鮮やかな青さや山の緑、そして建物の壁には濃淡をつけて配し、その手前にドーンと真っ白な船が来るものだから、純潔さや気高さが迫ってきて、神々しくさえ見えてくる。

切り絵というのは、油絵に比べると劣化しやすいそうだがこの絵は、1972年の制作でありながら発色も良く、かなり保存が良かったことを伺わせる。

切り絵というジャンル

とまあそんな絵なのだが、今回言いたいのは切り絵の素晴らしさ。切り絵とは、色のついた紙を切って台紙に貼って作る作品のことで、切り絵というジャンルも確立されており、切り絵を専門に手がける作家もいる。


だが柳原のそれは、他の切り絵作家とは少々スタイルが異なっている。普通、切り絵と呼ばれる作品は、例えば黒い紙を細密に切ってレースのような模様を表現したり、切った紙を何層にも張り合わせて立体感を出すとか、それはそれなりに素晴らしいが、切った紙に筆やペンを入れるようなものはあまりない。


柳原の作品は、貼った紙に黒や白のペンが自由に入っており、それが作品を仕上げるための決定的な要素になっている。だから柳原は切り絵という手法は使うが純粋な切り絵作家ではなく、切り絵の手法を使うのは、それでしか表せない独特の効果を表現するためだ。

柳原独自の切り絵

その独特の効果とは、つまり色と色の境界がパキッとしているとでも言えばいいのだろうか。うまく言えないのがもどかしいが、多くの人が柳原の個性あふれる切り絵に魅了されている。高校時代に美術部の部長を務めた長男の良太氏は、こんな話をしてくれた。


「油絵の場合は色を重ねますけど、切り絵はカミソリの刃で切って貼るわけですから、色の境界線がシャープじゃないですか。色使いも含めて、ああいうのは独特だなって思います」


良太氏も父親の作品の中では、切り絵やリトグラフが好きだそうだ。

柳原独自の切り絵

その独特の効果とは、つまり色と色の境界がパキッとしているとでも言えばいいのだろうか。うまく言えないのがもどかしいが、多くの人が柳原の個性あふれる切り絵に魅了されている。高校時代に美術部の部長を務めた長男の良太氏は、こんな話をしてくれた。


「油絵の場合は色を重ねますけど、切り絵はカミソリの刃で切って貼るわけですから、色の境界線がシャープじゃないですか。色使いも含めて、ああいうのは独特だなって思います」

良太氏も父親の作品の中では、切り絵やリトグラフが好きだそうだ。

切られた紙が、ニュアンスを表現

また、柳原の作品を知りつくす元・横浜みなと博物館館長の志澤氏は、別の角度から説明してくれる。


「片刃のカミソリで切るんですけど、だから細かいことができない。必然的に省略した必要最小限の形になるんです。その代わりカミソリで切ってるから線の美しさとか、ある種の冷たさが表現できて、結果的には平面感が出る。あるいは紙の色や質によってはボリューム感が出たりとか」

色彩感覚と、シェイプの美しさ

帝京大の名誉教授・岡部氏は、他の作家を引き合いに出しながら、専門的な見地から説明してくれた。


「色あいがメルヘンっぽいですよね。『暮しの手帖』の初代編集長であり表紙の画家でもあった花森安治(1911〜1978年)の絵に通じるものがあると思います。この色彩感覚はおそらく、柳原さんが美大時代に学んだ上野リチ(Felice Lizzi Rix-Ueno / 1893〜1967年:ウィーンと京都で活動したデザイナー)さんに影響されたのでしょう。また切り絵は、シェイプに美しさってのがありますからね。線と面に鋭角的な面白さが加わってるっていうか。アンリ・マティス(Henri Matisse / 1869〜1954年:フランスの画家)の”ジャズ”っていう有名な切り絵のシリーズもそうです。線といってもフォルムの美しさですけどね。まあそのフォルムの美しさは柳原さんの場合、船の美学に通じているんでしょう」


ちなみにそのアンリ・マティスは、切り絵は線を引いて中に色を塗ったりする必要がなく、いきなり色彩で描くことができるのが利点といったようなことを語ったという。”いきなり色彩で描く”というのは、うまい言い方だなと感心した。

原画が発するパワー

今回、原画を間近に見て、改めてその作品の緻密さに圧倒された。ありあけ社長・堀越氏も原画を初めて見たときの驚きを語っている。


「切り絵を見たときは感動しましたね。こんなことができるんだなあって。うちの会社には”感動を創造しよう”っていう理念があるんですけど、あれはまさに感動した瞬間でしたよ」

よく見ると、切り絵に使われている色紙は、表面が滑らかではなく、細かい筋のエンボス加工が施されてものが選ばれており、柳原はこの表面の凸凹もうまく利用している。


基本的には縦の目になるよう使っているが、パーツによっては横に使っている。観る角度によって表面にあるわずかな凸凹の陰影がほんの少し変わるので、角度を変えて貼ると色味の変化の出方も異なってくる。

そのうえで船だけはエンボス加工のない紙が使われているので、紙質の違いにおいても船が目立つ仕掛けになっている。そういうことか。

天才の構図

実は、しばらくするまで気づかなかったことがある。空と海に同じ紙が使われていたのだ。つまりこの作品は、全体が大きな1枚の青紙を使って構成されており、その上部は空を表現するために、下部は海を表現するために余白(この場合、余青?)が残されている。海に白ペンによる線が入っていたので、上下同じ青に濃淡の差を感じたのだろうか。ただの錯覚か。いずれにせよ最初は、空と海という別々のものにしか見えなかった。


柳原は「うん、空と海の両方にこの青が使えるから、上下を分けるように真ん中に船を置くか」などと判断して、この作品に取り掛かったということになる。このセンス、普通じゃないと感じるのは自分だけだろうか。


柳原の切り絵は、このように紙の色も質も使い方が凝っていて面白いものが多い。志澤氏の「柳原良平たらしめているのは切り絵で、あれは唯一のものです」という言葉が心に残る。(以下、次号)

切られた紙が、ニュアンスを表現

また、柳原の作品を知りつくす元・横浜みなと博物館館長の志澤氏は、別の角度から説明してくれる。


「片刃のカミソリで切るんですけど、だから細かいことができない。必然的に省略した必要最小限の形になるんです。その代わりカミソリで切ってるから線の美しさとか、ある種の冷たさが表現できて、結果的には平面感が出る。あるいは紙の色や質によってはボリューム感が出たりとか」

色彩感覚と、シェイプの美しさ

帝京大の名誉教授・岡部氏は、他の作家を引き合いに出しながら、専門的な見地から説明してくれた。


「色あいがメルヘンっぽいですよね。『暮しの手帖』の初代編集長であり表紙の画家でもあった花森安治(1911〜1978年)の絵に通じるものがあると思います。この色彩感覚はおそらく、柳原さんが美大時代に学んだ上野リチ(Felice Lizzi Rix-Ueno / 1893〜1967年:ウィーンと京都で活動したデザイナー)さんに影響されたのでしょう。また切り絵は、シェイプに美しさってのがありますからね。線と面に鋭角的な面白さが加わってるっていうか。アンリ・マティス(Henri Matisse / 1869〜1954年:フランスの画家)の”ジャズ”っていう有名な切り絵のシリーズもそうです。線といってもフォルムの美しさですけどね。まあそのフォルムの美しさは柳原さんの場合、船の美学に通じているんでしょう」


ちなみにそのアンリ・マティスは、切り絵は線を引いて中に色を塗ったりする必要がなく、いきなり色彩で描くことができるのが利点といったようなことを語ったという。”いきなり色彩で描く”というのは、うまい言い方だなと感心した。

原画が発するパワー

今回、原画を間近に見て、改めてその作品の緻密さに圧倒された。ありあけ社長・堀越氏も原画を初めて見たときの驚きを語っている。


「切り絵を見たときは感動しましたね。こんなことができるんだなあって。うちの会社には”感動を創造しよう”っていう理念があるんですけど、あれはまさに感動した瞬間でしたよ」

よく見ると、切り絵に使われている色紙は、表面が滑らかではなく、細かい筋のエンボス加工が施されてものが選ばれており、柳原はこの表面の凸凹もうまく利用している。

基本的には縦の目になるよう使っているが、パーツによっては横に使っている。観る角度によって表面にあるわずかな凸凹の陰影がほんの少し変わるので、角度を変えて貼ると色味の変化の出方も異なってくる。


そのうえで船だけはエンボス加工のない紙が使われているので、紙質の違いにおいても船が目立つ仕掛けになっている。そういうことか。

天才の構図

実は、しばらくするまで気づかなかったことがある。空と海に同じ紙が使われていたのだ。つまりこの作品は、全体が大きな1枚の青紙を使って構成されており、その上部は空を表現するために、下部は海を表現するために余白(この場合、余青?)が残されている。海に白ペンによる線が入っていたので、上下同じ青に濃淡の差を感じたのだろうか。ただの錯覚か。いずれにせよ最初は、空と海という別々のものにしか見えなかった。


柳原は「うん、空と海の両方にこの青が使えるから、上下を分けるように真ん中に船を置くか」などと判断して、この作品に取り掛かったということになる。このセンス、普通じゃないと感じるのは自分だけだろうか。


柳原の切り絵は、このように紙の色も質も使い方が凝っていて面白いものが多い。志澤氏の「柳原良平たらしめているのは切り絵で、あれは唯一のものです」という言葉が心に残る。(以下、次号)

アンクル編集子

ロイヤリティバンクの中の人。出版社勤務ののち独立し、雑誌やWEBなどに記事を執筆。柳原良平作品の素晴らしさに魅せられ、本コラムの連載を開始。

※編注
「船キチ」という表現は「尋常ではない船マニア」といったニュアンスを表しています。柳原良平が自著の中で、主に自身に対して頻繁に使用している表現ですが、そこに差別や侮蔑の意図はまったく感じられません。従って本コラムでは、他の言葉に置き換えず、あえて「船キチ」という単語をそのまま使用しています。   

柳原良平(やなぎはら・りょうへい)

1931年、東京生まれ。1954年、寿屋(現・サントリーホールディングス)に入社。話題を呼ぶ広告を次々に制作し電通賞や毎日産業デザイン賞など多くの賞を受賞して退職・独立。船と港をこよなく愛し、横浜に移住。画家以外に、ぐらふぃくデザイナー、装丁家、絵本作家、アニメーター、文筆家など多彩な顔を持つ。2015年8月17日、84歳で逝去。

アンクル編集子

ロイヤリティバンクの中の人。出版社勤務ののち独立し、雑誌やWEBなどに記事を執筆。柳原良平作品の素晴らしさに魅せられ、本コラムの連載を開始。

※編注
「船キチ」という表現は「尋常ではない船マニア」といったニュアンスを表しています。柳原良平が自著の中で、主に自身に対して頻繁に使用している表現ですが、そこに差別や侮蔑の意図はまったく感じられません。従って本コラムでは、他の言葉に置き換えず、あえて「船キチ」という単語をそのまま使用しています。   

参考文献
・『船旅絵日記』(徳間文庫)

ご協力いただいた方々

● 柳原良太(やなぎはら・りょうた) 1961年4月、父・良平、母・薫の長男として、東京で生まれる。3歳のときに横浜に引越し、子供時代を横浜で過ごす。1985年、日本銀行に就職。2021年に日本銀行を退職し、現在は物流会社に勤務している。東京都在住。       

● 志澤政勝(しざわ・まさかつ) 1978年、 横浜海洋科学博物館の学芸員となり、同館の理事を務 めていた柳原良平と出会う。交友は柳原が亡くなるまで続いた。以後、横浜マリタイムミュージアム(現・横浜みなと博物館)でキャリアを積み、2015年、館長に就任。2019年に退職し、現在は 海事史などを研究している。                                 

●岡部昌幸(おかべ・まさゆき)  1957年、横浜生まれ。少年期より地元横浜の美術と港・船の文化、歴史に関心を持つ。1984年、横浜市美術館の準備室に学芸員として勤務し、地域文化のサロンを通じて柳原良平と交遊。1992年、帝京大学文学部史学科専任講師(美術史)に就任。現・帝京大学文学部名誉教授、群馬県立近代美術館特別館長。                     

●堀越隆宏(ほりこし・たかひろ)  1968年、川崎生まれ。学生時代は野球に明け暮れる。2001年に ハーバー復活実行委員会メンバーとしてキャンペーンに参画。その後ハーバーの販売活動を中心に製造・商品企画などを担当し、柳原良平と知り合う。コラボレーション企画等でさまざまなヒット商品を生み出し、新たな市場を開拓。2013年に同社社長に就任。横浜市在住。   

ご協力いただいた方

● 柳原良太(やなぎはら・りょうた) 1961年4月、父・良平、母・薫の長男として、東京で生まれる。3歳のときに横浜に引越し、子供時代を横浜で過ごす。1985年、日本銀行に就職。2021年に日本銀行を退職し、現在は物流会社に勤務している。東京都在住。       

● 志澤政勝(しざわ・まさかつ) 1978年、 横浜海洋科学博物館の学芸員となり、同館の理事を務 めていた柳原良平と出会う。交友は柳原が亡くなるまで続いた。以後、横浜マリタイムミュージアム(現・横浜みなと博物館)でキャリアを積み、2015年、館長に就任。2019年に退職し、現在は 海事史などを研究している。                                 

●岡部昌幸(おかべ・まさゆき)  1957年、横浜生まれ。少年期より地元横浜の美術と港・船の文化、歴史に関心を持つ。1984年、横浜市美術館の準備室に学芸員として勤務し、地域文化のサロンを通じて柳原良平と交遊。1992年、帝京大学文学部史学科専任講師(美術史)に就任。現・帝京大学文学部名誉教授、群馬県立近代美術館特別館長。                     

●堀越隆宏(ほりこし・たかひろ)  1968年、川崎生まれ。学生時代は野球に明け暮れる。2001年に ハーバー復活実行委員会メンバーとしてキャンペーンに参画。その後ハーバーの販売活動を中心に製造・商品企画などを担当し、柳原良平と知り合う。コラボレーション企画等でさまざまなヒット商品を生み出し、新たな市場を開拓。2013年に同社社長に就任。横浜市在住。            

柳原良平主義 ~RyoheIZM~

柳原良平の絵に現れる個性の背景には、デザイナーとして培ったデザイン感覚があると前回のコラムで書いた。だがアート界では、画家とデザイナーとの間には大きな隔たりがあったらしい。

たとえば前回登場した、フランスの革命的デザイナーとして著名なカッサンドルの場合、デザインの仕事は、絵画で身を立てるまでの生活の手段としか考えていなかったらしい。帝京大学名誉教授・岡部氏が

柳原良平の絵は、当たり前だが他とは異なったオリジナリティがある。どこが違うかはこれまでにも何度か書いてきたが、なぜ違うか、その理由についても知りたかった。 まず思い当たるのは、柳原は画家であるだけでなく、イラストレーターであり、漫画家であり、またデザイナー、装丁家でもあったこと。 元・横浜みなと博物館館長の志澤氏によれば、
『帆走客船』とだけ題された、ペンによって描かれた原画を見た。モノクロでシンプルな線画だが、マストや飛び出した船首、帆はもちろん、帆綱(ほづな)をはじめとする多くのロープに至るまで、きっちり描き込まれている。このあたりの細かさは、
先日また柳原作品の、原画を観る機会に恵まれた。『ナポリ港の「ミケランジェロ号」』と、珍しくタイトルが絵の中に書いてある、切り絵による作品だ。 晴れわたったナポリの空の下、穏やかな港内に浮かぶ名船ミケランジェロ号の姿がなんとも優雅で、ゆったりした時間の流れが感じられ、
柳原良平の描く船は、堂々たる威風を感じさせるというより、親しみやすく可愛らしいものが多い。この親しみやすさはどこから来るのか? またその親しみやすさを、どうやって表現していたのか? 元・横浜みなと博物館館長の志澤政勝氏は、それをひと言で表現してくれた。 「変形されてますよね? つまり圧縮です」
柳原良平の「船キチ」が、いつどのように育まれたのか知りたかった。ただ彼の少年時代を知っている人は、今となっては見つからなかった。その代わり『柳原良平のわが人生』の記述から、ヒントとなった箇所を紹介する。 戦後(1945年)占領軍の統制下にあった日本は、船舶を建造することができなかったが、1946年には小型船舶の建造許可が降りた。そして翌1947年、関西在住の中学生、柳原良平(15歳)は、
柳原良平は横浜を愛した。山手の丘の中腹に住み書斎兼作業部屋から港を見ながら多くの作品を生み出した(数年後、他の建築物のせいで港は見えなくなってしまったが)。そんな彼の作品が大好きな、横浜に社屋を構える会社の代表がいた。彼は、既存の自社商品をもう一段階盛り上げる起爆剤は、柳原良平が描く絵のパワーだとひらめいた。
さて、ついに船の話だ。どこから書こうか迷うほど柳原の船愛っぷり(=知識)はどこまでも広く深い。それは『船旅絵日記』(徳間文庫)などを一読すれば、その濃度に誰もが思い知る。 排水量(総トン数)や速度、乗客数、船籍、建造会社、オーナー会社(の遷移も)などのスペックはもちろん、各キャビンの位置がわかる図に加えて一等から三等までの船室料金に至るまで詳細に記述されている。もちろん調べたりメモしたりすればわかることだという意見もあろう。だが当時は、気楽に検索して調べることなど不可能な時代。調査方法も問い合わせ先も、自力で見つけ出すしかない。
線画は、柳原良平の作品における原点だ。彼にとってスケッチは日常であり、スケッチは線画から始まる。そして彼は、線画による味わい深い作品を数多く残している。 『三人のおまわりさん』(学研)の絵は、そんな挿絵を見ることのできる作品のひとつ。主人公である三人のおまわりさんは、三人とも例によって2頭身半で、ヒゲの向き以外はほぼ同じ顔なのだが、
前回は、1958年に誕生以来、半世紀を軽く超えて今なお大活躍する不滅のキャラクター「アンクルトリス」が誕生するまでについて書いた。こんな長く活躍するとは柳原良平ご本人さえ想像していなかったのでは? これは作品の内に、作者本人すら意識しない普遍性が備わっていたことの証と言える。つまり柳原良平の作品には「魅力という名の普遍性」が備わっている。
道は、自分で切り開く 船や港は、柳原良平が一生を通じて向き合ってきたテーマであり、その絵を前にすると誰もが、オリジナリティあふれる、柳原ならではの作風に魅了される。その魅力については今後、手を替え品を替え何度も書くことになろうが、その前にあえて、彼の作品のもうひとつの特徴である、人物画の面白さにスポットを当てておきたい。
どこが良いのか言えない、もどかしさ 船画の魅力、人物画の面白さ 柳原良平による船の絵。それはときに埠頭に停泊して浮かぶ豪華客船であったり、ときにクレーンで荷役作業中の力強いコンテナ船であったりする。作品によっては客船の甲板から手を振る旅客や、貨物船のブリッジで針路を見つめる船長が描かれていたり。船自体の絵は写実的な絵とはかけ離れた作風にもかかわらず、独特な緻密感・凝縮感が滲み出ているのに対して、人物の方は思い切りマンガチックにデフォルメされている...

柳原良平主義 ~RyoheIZM~

柳原良平の絵に現れる個性の背景には、デザイナーとして培ったデザイン感覚があると前回のコラムで書いた。だがアート界では、画家とデザイナーとの間には大きな隔たりがあったらしい。

たとえば前回登場した、フランスの革命的デザイナーとして著名なカッサンドルの場合、デザインの仕事は、絵画で身を立てるまでの生活の手段としか考えていなかったらしい。帝京大学名誉教授・岡部氏が

柳原良平の絵は、当たり前だが他とは異なったオリジナリティがある。どこが違うかはこれまでにも何度か書いてきたが、なぜ違うか、その理由についても知りたかった。 まず思い当たるのは、柳原は画家であるだけでなく、イラストレーターであり、漫画家であり、またデザイナー、装丁家でもあったこと。 元・横浜みなと博物館館長の志澤氏によれば、
『帆走客船』とだけ題された、ペンによって描かれた原画を見た。モノクロでシンプルな線画だが、マストや飛び出した船首、帆はもちろん、帆綱(ほづな)をはじめとする多くのロープに至るまで、きっちり描き込まれている。このあたりの細かさは、
先日また柳原作品の、原画を観る機会に恵まれた。『ナポリ港の「ミケランジェロ号」』と、珍しくタイトルが絵の中に書いてある、切り絵による作品だ。 晴れわたったナポリの空の下、穏やかな港内に浮かぶ名船ミケランジェロ号の姿がなんとも優雅で、ゆったりした時間の流れが感じられ、
柳原良平の描く船は、堂々たる威風を感じさせるというより、親しみやすく可愛らしいものが多い。この親しみやすさはどこから来るのか? またその親しみやすさを、どうやって表現していたのか? 元・横浜みなと博物館館長の志澤政勝氏は、それをひと言で表現してくれた。 「変形されてますよね? つまり圧縮です」
柳原良平の「船キチ」が、いつどのように育まれたのか知りたかった。ただ彼の少年時代を知っている人は、今となっては見つからなかった。その代わり『柳原良平のわが人生』の記述から、ヒントとなった箇所を紹介する。 戦後(1945年)占領軍の統制下にあった日本は、船舶を建造することができなかったが、1946年には小型船舶の建造許可が降りた。そして翌1947年、関西在住の中学生、柳原良平(15歳)は、
柳原良平は横浜を愛した。山手の丘の中腹に住み書斎兼作業部屋から港を見ながら多くの作品を生み出した(数年後、他の建築物のせいで港は見えなくなってしまったが)。そんな彼の作品が大好きな、横浜に社屋を構える会社の代表がいた。彼は、既存の自社商品をもう一段階盛り上げる起爆剤は、柳原良平が描く絵のパワーだとひらめいた。
さて、ついに船の話だ。どこから書こうか迷うほど柳原の船愛っぷり(=知識)はどこまでも広く深い。それは『船旅絵日記』(徳間文庫)などを一読すれば、その濃度に誰もが思い知る。 排水量(総トン数)や速度、乗客数、船籍、建造会社、オーナー会社(の遷移も)などのスペックはもちろん、各キャビンの位置がわかる図に加えて一等から三等までの船室料金に至るまで詳細に記述されている。もちろん調べたりメモしたりすればわかることだという意見もあろう。だが当時は、気楽に検索して調べることなど不可能な時代。調査方法も問い合わせ先も、自力で見つけ出すしかない。
線画は、柳原良平の作品における原点だ。彼にとってスケッチは日常であり、スケッチは線画から始まる。そして彼は、線画による味わい深い作品を数多く残している。 『三人のおまわりさん』(学研)の絵は、そんな挿絵を見ることのできる作品のひとつ。主人公である三人のおまわりさんは、三人とも例によって2頭身半で、ヒゲの向き以外はほぼ同じ顔なのだが、
前回は、1958年に誕生以来、半世紀を軽く超えて今なお大活躍する不滅のキャラクター「アンクルトリス」が誕生するまでについて書いた。こんな長く活躍するとは柳原良平ご本人さえ想像していなかったのでは? これは作品の内に、作者本人すら意識しない普遍性が備わっていたことの証と言える。つまり柳原良平の作品には「魅力という名の普遍性」が備わっている。
道は、自分で切り開く 船や港は、柳原良平が一生を通じて向き合ってきたテーマであり、その絵を前にすると誰もが、オリジナリティあふれる、柳原ならではの作風に魅了される。その魅力については今後、手を替え品を替え何度も書くことになろうが、その前にあえて、彼の作品のもうひとつの特徴である、人物画の面白さにスポットを当てておきたい。
どこが良いのか言えない、もどかしさ 船画の魅力、人物画の面白さ 柳原良平による船の絵。それはときに埠頭に停泊して浮かぶ豪華客船であったり、ときにクレーンで荷役作業中の力強いコンテナ船であったりする。作品によっては客船の甲板から手を振る旅客や、貨物船のブリッジで針路を見つめる船長が描かれていたり。船自体の絵は写実的な絵とはかけ離れた作風にもかかわらず、独特な緻密感・凝縮感が滲み出ているのに対して、人物の方は思い切りマンガチックにデフォルメされている...