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アンクル編集子
Jun 9, 2023

柳原良平主義 ~RyoheIZM~01

柳原良平主義 ~RyoheIZM~01

アンクル編集子

Jun 9, 2023

どこが良いのか言えない、もどかしさ

どこが良いのか言えない、もどかしさ

船画の魅力、人物画の面白さ

船画の魅力、人物画の面白さ

柳原良平による船の絵。それはときに埠頭に停泊して浮かぶ豪華客船であったり、ときにクレーンで荷役作業中の力強いコンテナ船であったりする。作品によっては客船の甲板から手を振る旅客や、貨物船のブリッジで針路を見つめる船長が描かれていたり。

船自体の絵は写実的な絵とはかけ離れた作風にもかかわらず、独特な緻密感・凝縮感が滲み出ているのに対して、人物の方は思い切りマンガチックにデフォルメされている。

日本における3大海運会社のひとつである商船三井は、毎年作成するPR用卓上カレンダーに、表紙はもとより1月から12月の全ページにわたって柳原良平の絵を採用し続けている。つまり柳原が描く船の絵は、船のプロである商船三井のスタッフたちの琴線にも触れる、高いクオリティの作品であることを証明している。

一方の人物画のほうは?といえば、代表作の「アンクルトリス」名義で登場したキャラクターが、戦後復興〜成長期(1958年)に登場して久しい(どころではない)が、今なおトリス・ウィスキー(サントリー)のCMで、吉高由里子と共演し、全国レベルで親しまれる存在となっている。

一方、柳原が船の絵に描いている同キャラクターは「アンクル船長」名義となっており、その認知度はアンクルトリスには遠く及ばないが、柳原ファンに取っては格別の魅力に映っている。鉄の構造物である船に、温もりを与えているからだ。

柳原良平による船の絵。それはときに埠頭に停泊して浮かぶ豪華客船であったり、ときにクレーンで荷役作業中の力強いコンテナ船であったりする。作品によっては客船の甲板から手を振る旅客や、貨物船のブリッジで針路を見つめる船長が描かれていたり。

船自体の絵は写実的な絵とはかけ離れた作風にもかかわらず、独特な緻密感・凝縮感が滲み出ているのに対して、人物の方は思い切りマンガチックにデフォルメされている。

日本における3大海運会社のひとつである商船三井は、毎年作成するPR用卓上カレンダーに、表紙はもとより1月から12月の全ページにわたって柳原良平の絵を採用し続けている。つまり柳原が描く船の絵は、船のプロである商船三井のスタッフたちの琴線にも触れる、高いクオリティの作品であることを証明している。

一方の人物画のほうは?といえば、代表作の「アンクルトリス」名義で登場したキャラクターが、戦後復興〜成長期(1958年)に登場して久しい(どころではない)が、今なおトリス・ウィスキー(サントリー)のCMで、吉高由里子と共演し、全国レベルで親しまれる存在となっている。

一方、柳原が船の絵に描いている同キャラクターは「アンクル船長」名義となっており、その認知度はアンクルトリスには遠く及ばないが、柳原ファンに取っては格別の魅力に映っている。鉄の構造物である船に、温もりを与えているからだ。

柳原良平による船の絵。それはときに埠頭に停泊して浮かぶ豪華客船であったり、ときにクレーンで荷役作業中の力強いコンテナ船であったりする。作品によっては客船の甲板から手を振る旅客や、貨物船のブリッジで針路を見つめる船長が描かれていたり。

船自体の絵は写実的な絵とはかけ離れた作風にもかかわらず、独特な緻密感・凝縮感が滲み出ているのに対して、人物の方は思い切りマンガチックにデフォルメされている。

日本における3大海運会社のひとつである商船三井は、毎年作成するPR用卓上カレンダーに、表紙はもとより1月から12月の全ページにわたって柳原良平の絵を採用し続けている。つまり柳原が描く船の絵は、船のプロである商船三井のスタッフたちの琴線にも触れる、高いクオリティの作品であることを証明している。

一方の人物画のほうは?といえば、代表作の「アンクルトリス」名義で登場したキャラクターが、戦後復興〜成長期(1958年)に登場して久しい(どころではない)が、今なおトリス・ウィスキー(サントリー)のCMで、吉高由里子と共演し、全国レベルで親しまれる存在となっている。

一方、柳原が船の絵に描いている同キャラクターは「アンクル船長」名義となっており、その認知度はアンクルトリスには遠く及ばないが、柳原ファンに取っては格別の魅力に映っている。鉄の構造物である船に、温もりを与えているからだ。

なぜ人の心に訴えるのか?

なぜ人の心に訴えるのか?

それらが渾然一体となって描かれた彼の作品を目の当たりにすると、ついつい絵のあちこちを観察するに至りさらには、その背景までが気になり始める。そうこうするうち、あれこれの思いにかられた自分に突然気づく。いわく「なるほどー」とか「あれ、ひょっとして」とか。

つまり柳原良平の作品は不思議に見飽きない。この「不思議に」、というところがミソで、なぜ見飽きないのか、その理由がわからないから余計に知りたくなる。

これは、好きな女のどこが好きか?と聞かれて即答できないのに近い。ただ自分が好きな女の美点など、どんなに頑張って並べたところで個人的すぎて誰の得にもならない。

一方で好きな絵のどこに魅了されるのか?というテーマなら、柳原良平という多くのファンを持つ作家の作品群が対象である限り、同好の士やコレクターから思わぬ反応が得られたり、彼の作品に馴染みでなかった人々に対して新たな魅力をアピールできたり、といったポジティブな展開が期待できる。

そんなわけで作品の魅力の源泉を探らんと、あれこれ調べていったのだが、柳原良平という人物は調べれば調べるほど、とんでもない才能の持ち主であることはもちろん、とんでもない「船キチ」であること、さらにはとんでもない教養人であることがわかってきた。

それらが渾然一体となって描かれた彼の作品を目の当たりにすると、ついつい絵のあちこちを観察するに至りさらには、その背景までが気になり始める。そうこうするうち、あれこれの思いにかられた自分に突然気づく。いわく「なるほどー」とか「あれ、ひょっとして」とか。

つまり柳原良平の作品は不思議に見飽きない。この「不思議に」、というところがミソで、なぜ見飽きないのか、その理由がわからないから余計に知りたくなる。

これは、好きな女のどこが好きか?と聞かれて即答できないのに近い。ただ自分が好きな女の美点など、どんなに頑張って並べたところで個人的すぎて誰の得にもならない。

一方で好きな絵のどこに魅了されるのか?というテーマなら、柳原良平という多くのファンを持つ作家の作品群が対象である限り、同好の士やコレクターから思わぬ反応が得られたり、彼の作品に馴染みでなかった人々に対して新たな魅力をアピールできたり、といったポジティブな展開が期待できる。

そんなわけで作品の魅力の源泉を探らんと、あれこれ調べていったのだが、柳原良平という人物は調べれば調べるほど、とんでもない才能の持ち主であることはもちろん、とんでもない「船キチ」であること、さらにはとんでもない教養人であることがわかってきた。

そうだ、話を聞きに行こう!

そうだ、話を聞きに行こう!

調べるだけでは飽き足らなくなり、故人である柳原良平をよく知る人々に、話を聞いて回ることを思いついた。それらの人々とは、御子息である柳原良太氏や元・横浜みなと博物館館長の志澤政勝氏、それから元・商船三井の中島淳子氏や大貫英則氏、さらには横浜の美術史を幕末から研究してきた帝京大学名誉教授・岡部昌幸氏といった、さまざまな縁で柳原良平と交わりを持った人たちだ。運良くそれらの方々は、当方からの取材依頼を快く引き受けてくれた。心から感謝の意を表したい。

取材も進んできたので、得られた貴重なコメントの数々を、世に出ている彼の作品や出版物に関連づけ、連載コラムというかたちでその才能や人間的魅力に迫ってみたい。そして最終的には、彼が生み出した作品の魅力の源泉にたどり着ければといいなと思っている。

恐れ多いことは承知の上で、柳原良平の作品群、そして人物の魅力について「あくまで素人目線で」語るこの「note:柳原良平主義〜RyoheIZM〜」を始める。作品の詳細や柳原良平という人物について詳しく知る方々の目に届いたら嬉しい。そしてもしご意見やご教示をいただけたら、もっと嬉しい。さらには、柳原良平を知らなかった人たちから共感が得られたら、もっともっと嬉しい! (以下次号)

調べるだけでは飽き足らなくなり、故人である柳原良平をよく知る人々に、話を聞いて回ることを思いついた。それらの人々とは、御子息である柳原良太氏や元・横浜みなと博物館館長の志澤政勝氏、それから元・商船三井の中島淳子氏や大貫英則氏、さらには横浜の美術史を幕末から研究してきた帝京大学名誉教授・岡部昌幸氏といった、さまざまな縁で柳原良平と交わりを持った人たちだ。運良くそれらの方々は、当方からの取材依頼を快く引き受けてくれた。心から感謝の意を表したい。

取材も進んできたので、得られた貴重なコメントの数々を、世に出ている彼の作品や出版物に関連づけ、連載コラムというかたちでその才能や人間的魅力に迫ってみたい。そして最終的には、彼が生み出した作品の魅力の源泉にたどり着ければといいなと思っている。

恐れ多いことは承知の上で、柳原良平の作品群、そして人物の魅力について「あくまで素人目線で」語るこの「note:柳原良平主義〜RyoheIZM〜」を始める。作品の詳細や柳原良平という人物について詳しく知る方々の目に届いたら嬉しい。そしてもしご意見やご教示をいただけたら、もっと嬉しい。さらには、柳原良平を知らなかった人たちから共感が得られたら、もっともっと嬉しい! (以下次号)

アンクル編集子

ロイヤリティバンクの中の人。出版社勤務ののち独立し、雑誌やWEBなどに記事を執筆。柳原良平作品の素晴らしさに魅せられ、本コラムの連載を開始。

※編注
「船キチ」という表現は「尋常ではない船マニア」といったニュアンスを表しています。柳原良平が自著の中で、主に自身に対して頻繁に使用している表現ですが、そこに差別や侮蔑の意図はまったく感じられません。従って本コラムでは、他の言葉に置き換えず、あえて「船キチ」という単語をそのまま使用しています。   

アンクル編集子

ロイヤリティバンクの中の人。出版社勤務ののち独立し、雑誌やWEBなどに記事を執筆。柳原良平作品の素晴らしさに魅せられ、本コラムの連載を開始。

※編注
「船キチ」という表現は「尋常ではない船マニア」といったニュアンスを表しています。柳原良平が自著の中で、主に自身に対して頻繁に使用している表現ですが、そこに差別や侮蔑の意図はまったく感じられません。従って本コラムでは、他の言葉に置き換えず、あえて「船キチ」という単語をそのまま使用しています。   

ご協力いただいた方々:

● 柳原良太(やなぎはら・りょうた) 1961年4月、父・良平、母・薫の長男として、東京で生まれる。3歳のときに横浜に引越し、子供時代を横浜で過ごす。1985年、日本銀行に就職。2021年に日本銀行を退職し、現在は物流会社に勤務している。東京都在住。      

● 志澤政勝(しざわ・まさかつ) 1978年、 横浜海洋科学博物館の学芸員となり、同館の理事を務めていた柳原良平と出会う。交友は柳原が亡くなるまで続いた。以後、横浜マリタイムミュージアム(現・横浜みなと博物館)でキャリアを積み、2015年、館長に就任。2019年に退職し、現在は海事史などを研究している。                   

●中島淳子(なかじま・あつこ) 1976年、大阪商船三井船舶株式会社(現・株式会社商船三井)入社。秘書室を経て広報室に異動し、以降は一貫してサイト管理や社内報・広報誌の制作を担当。2002年にはサイト内に「柳原名誉船長ミュージアム」を設置。柳原作品の発注窓口となり、約13年にわたり文通のようなやりとりを続けた。

●大貫英則(おおぬき・ひでのり) 1982年、大阪商船三井船舶株式会社(現・株式会社商船三井)に入社。定期船・コンテナ船事業部門にて航路の運営・営業に従事したのち2000年に広報室に異動した際、作品依頼の打ち合わせで柳原と知り合う。以後、新造船の竣工式や貨物船取材乗船などに柳原を招待するなどし、柳原と親交を深めた。

●岡部昌幸(おかべ・まさゆき)  1957年、横浜生まれ。少年期より地元横浜の美術と港・船の文化、歴史に関心を持つ。1984年、横浜市美術館の準備室に学芸員として勤務し、地域文化のサロンを通じて柳原良平と交遊。1992年、帝京大学文学部史学科専任講師(美術史)に就任。現・帝京大学文学部名誉教授、群馬県立近代美術館特別館長。  

ご協力いただいた方々:

● 柳原良太(やなぎはら・りょうた) 1961年4月、父・良平、母・薫の長男として、東京で生まれる。3歳のときに横浜に引越し、子供時代を横浜で過ごす。1985年、日本銀行に就職。2021年に日本銀行を退職し、現在は物流会社に勤務している。東京都在住。      

● 志澤政勝(しざわ・まさかつ) 1978年、 横浜海洋科学博物館の学芸員となり、同館の理事を務めていた柳原良平と出会う。交友は柳原が亡くなるまで続いた。以後、横浜マリタイムミュージアム(現・横浜みなと博物館)でキャリアを積み、2015年、館長に就任。2019年に退職し、現在は海事史などを研究している。                   

●中島淳子(なかじま・あつこ) 1976年、大阪商船三井船舶株式会社(現・株式会社商船三井)入社。秘書室を経て広報室に異動し、以降は一貫してサイト管理や社内報・広報誌の制作を担当。2002年にはサイト内に「柳原名誉船長ミュージアム」を設置。柳原作品の発注窓口となり、約13年にわたり文通のようなやりとりを続けた。

●大貫英則(おおぬき・ひでのり) 1982年、大阪商船三井船舶株式会社(現・株式会社商船三井)に入社。定期船・コンテナ船事業部門にて航路の運営・営業に従事したのち2000年に広報室に異動した際、作品依頼の打ち合わせで柳原と知り合う。以後、新造船の竣工式や貨物船取材乗船などに柳原を招待するなどし、柳原と親交を深めた。

●岡部昌幸(おかべ・まさゆき)  1957年、横浜生まれ。少年期より地元横浜の美術と港・船の文化、歴史に関心を持つ。1984年、横浜市美術館の準備室に学芸員として勤務し、地域文化のサロンを通じて柳原良平と交遊。1992年、帝京大学文学部史学科専任講師(美術史)に就任。現・帝京大学文学部名誉教授、群馬県立近代美術館特別館長。  

柳原良平主義 ~RyoheIZM~

道は、自分で切り開く 船や港は、柳原良平が一生を通じて向き合ってきたテーマであり、その絵を前にすると誰もが、オリジナリティあふれる、柳原ならではの作風に魅了される。その魅力については今後、手を替え品を替え何度も書くことになろうが、その前にあえて、彼の作品のもうひとつの特徴である、人物画の面白さにスポットを当てておきたい。
道は、自分で切り開く 船や港は、柳原良平が一生を通じて向き合ってきたテーマであり、その絵を前にすると誰もが、オリジナリティあふれる、柳原ならではの作風に魅了される。その魅力については今後、手を替え品を替え何度も書くことになろうが、その前にあえて、彼の作品のもうひとつの特徴である、人物画の面白さにスポットを当てておきたい。
道は、自分で切り開く 船や港は、柳原良平が一生を通じて向き合ってきたテーマであり、その絵を前にすると誰もが、オリジナリティあふれる、柳原ならではの作風に魅了される。その魅力については今後、手を替え品を替え何度も書くことになろうが、その前にあえて、彼の作品のもうひとつの特徴である、人物画の面白さにスポットを当てておきたい。
道は、自分で切り開く 船や港は、柳原良平が一生を通じて向き合ってきたテーマであり、その絵を前にすると誰もが、オリジナリティあふれる、柳原ならではの作風に魅了される。その魅力については今後、手を替え品を替え何度も書くことになろうが、その前にあえて、彼の作品のもうひとつの特徴である、人物画の面白さにスポットを当てておきたい。
どこが良いのか言えない、もどかしさ 船画の魅力、人物画の面白さ 柳原良平による船の絵。それはときに埠頭に停泊して浮かぶ豪華客船であったり、ときにクレーンで荷役作業中の力強いコンテナ船であったりする。作品によっては客船の甲板から手を振る旅客や、貨物船のブリッジで針路を見つめる船長が描かれていたり。船自体の絵は写実的な絵とはかけ離れた作風にもかかわらず、独特な緻密感・凝縮感が滲み出ているのに対して、人物の方は思い切りマンガチックにデフォルメされている...

柳原良平主義 ~RyoheIZM~

道は、自分で切り開く 船や港は、柳原良平が一生を通じて向き合ってきたテーマであり、その絵を前にすると誰もが、オリジナリティあふれる、柳原ならではの作風に魅了される。その魅力については今後、手を替え品を替え何度も書くことになろうが、その前にあえて、彼の作品のもうひとつの特徴である、人物画の面白さにスポットを当てておきたい。
道は、自分で切り開く 船や港は、柳原良平が一生を通じて向き合ってきたテーマであり、その絵を前にすると誰もが、オリジナリティあふれる、柳原ならではの作風に魅了される。その魅力については今後、手を替え品を替え何度も書くことになろうが、その前にあえて、彼の作品のもうひとつの特徴である、人物画の面白さにスポットを当てておきたい。
道は、自分で切り開く 船や港は、柳原良平が一生を通じて向き合ってきたテーマであり、その絵を前にすると誰もが、オリジナリティあふれる、柳原ならではの作風に魅了される。その魅力については今後、手を替え品を替え何度も書くことになろうが、その前にあえて、彼の作品のもうひとつの特徴である、人物画の面白さにスポットを当てておきたい。
道は、自分で切り開く 船や港は、柳原良平が一生を通じて向き合ってきたテーマであり、その絵を前にすると誰もが、オリジナリティあふれる、柳原ならではの作風に魅了される。その魅力については今後、手を替え品を替え何度も書くことになろうが、その前にあえて、彼の作品のもうひとつの特徴である、人物画の面白さにスポットを当てておきたい。
どこが良いのか言えない、もどかしさ 船画の魅力、人物画の面白さ 柳原良平による船の絵。それはときに埠頭に停泊して浮かぶ豪華客船であったり、ときにクレーンで荷役作業中の力強いコンテナ船であったりする。作品によっては客船の甲板から手を振る旅客や、貨物船のブリッジで針路を見つめる船長が描かれていたり。船自体の絵は写実的な絵とはかけ離れた作風にもかかわらず、独特な緻密感・凝縮感が滲み出ているのに対して、人物の方は思い切りマンガチックにデフォルメされている...